あら!いいね。

全ての価値は人が生み出す。

家族が壊れていく

般若心経を一日300巻読誦を始めて一年がたった。

仕事も順調とは言えず、次男は深いやみに沈んでゆく。

長女も相変わらず声がでることなく二年が過ぎようとしている。

人間にとって衣食住は大切。まずこれを確保することはこの上もなく大切。

 

手本のない時代に、しかも家族が壊れていく中で、どう生きて行けばいいのかこの半年なやみ考えた。

自分の生活基準の仕事についての軸もはっきりとしないまま、目先の頑張りで、日々悶々と送ってきた。

心経一カ月3000巻読誦をひとつの区切りとして、生活のこと、仕事のこと、家族のこと。そして何よりも自分のことを一度棚卸して仕切り直しの必要を感じ、読誦の効次のせ生き方を考えた。

中山正和さんの洞察力から生まれた心経読誦の旅は、無能唱元さんの阿頼耶識瞑想、横山紘一さんの唯識で読む般若心経、松原哲明さんの延命十句観音経高王白衣観音経とすこしづつ本論に近づきながら、ふと立ち寄ったブックオフで織田隆弘さんの加治密教小乗仏教に出会う。小乗仏教密教の理解は、大乗仏教の理解できなかった点がわかり始める。

 

つねに目標をたて、つねにあたらしい知識をみにつけようとしてきたこれまでのことが真理に反していることを見つける。

十善戒に反する生き方が競争社会の生き方であり、見つからなければ悪を働いてもそれは能力実力なのだという勘違いな生き方である。

この気づきが一年間の般若心経読誦の大きな成果であり、ブッダの慈悲である。

私のもっと大きな罪は「私は悪くない」と本当に思っていることだ。だが、これは私の自己防衛本能がそう思わせていることであり、末那識が私の我を守るために働いた所作である。心経読誦の成果の上に、次の課題を見つけた。それは懺悔こそが阿頼耶識を開拓した六根を清浄にする心理の法則である。

懺悔行を阿頼耶識を開拓し六根を清浄にし、究極の自由を獲得するたびにでる。

280805記