ARAIINE’s blog

全ての価値は人が生み出す。

父の財産を引き継ごう

 細野 霊園ごくらく 新居浜萩生の旅 20170621

家を出たのは12時過ぎだった。岩本町から少し歩き上野についたのが2時前。それから京成にのり、成田に向かう。成田からジェットスターに乗り、松山へ。

飛行機は満席で、しかも横六列で狭い。窓際の席で外の風景がよく見えた。海岸がみえたのがどのあたりかわからないが、東京湾ではなく千葉の九十九里の海岸ではないかと思う。しばらくすると雲に遮られた。瀬戸内の上空であろうか美しい島々を見ながら松山空港に到着する。

松山空港は雨。バスで道後温泉を目指す。道後温泉本館の神に湯二階の席。840円。湯につかる。心の底から温まる感じで、汗がなかなか引かず、窓から吹き込む風が気持ちよく、茶とせんべいの接待に癒される。チンチン電車東急ホテルに向かう。ホテルのある大街道は松山の歓楽街なのだろうか、飲食の店がならび客引きがでて、にぎわっている。夕食に煮干しラーメンをいただく。

ホテルは12階の最上階で三越を見下ろす感じ。部屋は広く風呂は豪華で温泉に入ったが、また入浴する。上質な生活を味会う。

同行してくれた長男は、疲れているらしくいびきが大きく、キンドルを5時ころまでみてすごす。アマゾンのキンドルにワイハイがつなげたことでこれからは、いろんな本がキンドルで読めそうだ。朝7時に起き、松屋で朝食を食べ、レンタカー会社に向かう。雨は激しく降り続く。レンタカーはホンダのフィット。松山インターから伊予小松まで快適なドライブ。小松から細野へ向け、小道を気持ちよくドライブ。

細野の小道に長男は悲鳴をあげながらも運転を楽しむ。細野は木と草におおわれ、原始に戻り始めている。あと10年たてば完全に、ここに生活があったことがわからなくなるだろう。道なき道を歩み、ここに最初に住み着き開拓していった人のことをおもうと、そのエネルギーに身が満たされていく。

ここに善道場を作りたいという夢は、はかないものになってしまうか。むかし杉木立の中に生活の後を見つけたことがあったが、100年後に訪れたっとき、私と同様にここに人間の生活があったことをみつけ、ここで営まれた生活を思い出す人が現れるだろう。

細野をあとにして、霊園ごくらくに向かう。大きな霊園で大保木の人たちがここに移されたと聞いている。十亀家と書かれた墓は立派であり、一等地に建てられている。祖先ん現状を報告し、元気なことを告げる。

萩生に向かうが心は行くことを嫌がる。長男に頼み、3萬円を仏前に備えてほしい旨伝える。気持ちが中途半端っだったのだろうか、それともそういうように導かれたのか。お供えは自分でやるようにと家に上がってしまう。

結果、妹が一言。「いつまで生きるかわからないのだから、いつまでも元気でいてほしいというのは無責任である」に反応してしまう。反応してしまった原因は、墓のことがこころの引っかかっているからだろう。わたしは、霊園ごくらくの十亀家の墓に入れてほしい、入りたいという思いがある。現実問題として、この土地に住まないものがふるさとであるというだけで、ふるさとの霊園に入りたいというのも甘ったれたかんがえだろう。この甘ったれは自分の墓は作れないのではないかという不安と自分の血がとぎれることへの苛立ちが交差したものだ。

細野への気持ちが離れ、神田の家族の一員になろうと努力したが、会社の業績不振で、この一員からもはなれ、迷える一匹オオカミとして生きてきたのが、この20年だった。

ふるさと細野への思い、神田の家族との離別。コウモリのように自分をなくしていたのだろう。保険セールスというフィールドをつかんで74歳から立ち上がろうとしている私に選べる道は、細野への思い、神田の家族との離別を俯瞰、抽象化することだろう。

ひとはだれもが幸せになりたい。母も妹も今の幸せをわたしに奪われることを恐れたのだろう。わたしの中に彼女たちを恐れさせる「気」があり、それに気が付いた。わたしはそれを押し殺そうといままでしてきたのだろう。わたしが欲しいのは自分が生きた証なのだ。ならば、堂々と私の取り分を請求することだ。そこから次の活動が始まる。

父の財産を誰がどう引きつでいるのかを知る権利がわたしにはある。このことをはっきりしなければ、いつまでたっても、わたしは不肖の息子。できの悪い息子といわれつづけるだろう。法律が認めた権利をわたしは請求する。祖先の血を引いたものとして残された資産を引き継ぐ権利を実行する。それがわたしが幸せになることであり、わたしのまわりの人を幸せにすることである、しかも社会の役に立つことである。

東京の地に一人で放り込まれ、なにもわからず、不安におののきながら受験に失敗してしまう。しかし、自尊心を失うことを恐れ、プライド高く生き抜いてきた自分を貫くことだ。

父の葬儀で私を悪者に仕立て上げることで、社会からの抹殺をはかり、わたしの自尊心を打ち砕き、自分たちが、正義であるふるまいをする。家族は助けが必要な時助け合うのが家族である。わたしはいままで、自分のことは脇において、人が幸せになるように行動してきた。しかし、この行動は他人にはわたしが尊大でプライドが強く、自分本位な人間に映っている。自分は小心で、自分より他人の感情を大切に生きてきた。これが私の間違いだった。自分がしあわせになってこそ人を幸せにできる。

わたしはわたしが生きた証を細野に残したい。細野の土地が欲しい。わたしの分の父の遺産が欲しい。親の世話をする大変さはある。が、親の世話ができる幸せもある。

大都会の中で、プライドを失っていきることはできない。たとえご飯に塩をかけた握り飯で生き抜いたとしてもプライドを失って生きることはわたしの死をいみすることである。わたしはわたしの権利といて父の財産を引き継ごう。それが父のかんがえたわたしの生き方である。

父の霊前に3万円の香典をおいたが、母はそれを返した。はした金はもらわないという考えなのだろう。わたしは父の霊前に供えたものであり、父の霊に報いるために使ってもらうことが望みであった。このささやかな望みが通じない。これほど息子にとって悲しいことはない。このことは母にしっかり伝えて起きたい。

わたしは今、父の残したものが欲しい。これから生きる糧としてほしい。

それが今、わたしが幸せになるために欲しいものだ。

 

遅いお昼を長男がおごってくれたくら寿司で、うな丼と天丼を食べた。そして松山城を散策し、帰路につく。

すばらしい旅であった。本当にありがとう。

4萬円弱の旅であった。