70年間に起きたことすべてを忘れ去ろう。
経済的困窮は、それほど困ることではないが先がみえない。何かを確実に間違っていたのだろうか?
何を間違えたのか?
劣等感からくる自意識過剰。この劣等感はどこから、いつごろから出たのかわからないがが、子供の時からあった。この劣等感を埋めてくれたのが父親の存在であった。この劣等感はエゴと一緒だ。すべて自分優先である。そのため、必ず何かに頼ることになる。マルクス理論であったり、経営理論であったり、マネジメント理論であったり、、、。
今もこの修正をひきずりながら生きている。経済的困窮に家族は手を焼いている。今、私がやっている仕事を道楽だと思っているところがある。私は、33年間会社経営をやってきた実績がある。この実績は私だけのものではない。この実績を捨てることはできない。この実績の上にこれからの生活設計とビジョンを作る。
客家の家訓に「何を始めるかに最も時間を費やすべし」とある。
わたしは、思いついたことを後先考えずにはじめ、障害に出会うとすぐに辞めてしまうことを繰り返してきた。一つのことを深く掘り下げることができていない。
なぜだろう?
「自分を中心」にした考えをするからだ。独善的と言い換えることもできる。
ユダヤ的な考えと客家的な考えを比較してみたが、ユダヤ的な考えが「自分中心」だと決めつけられないが、客家の家訓のほうが、人間関係を豊かになるように思う。
振り返ると、須田町移転、須田町引き払い、フェイスブックを利用したビジネスの模索、営業代行ビジネスの模索。これらの行動すべてが周りのことを考えず、「自分中心」の考えで行動している。
自分中心で検索をかけた。石原加受子さんのサイトがでてきた。たくさんの本を出している。「自分中心心理学」をコンセプトにした事業を展開している。「好き嫌い、快不快、苦楽」でものごとを判断すると自分を愛することができ、人を愛することができるという理論である。
この考えはわたしにとって初めての考え方であり、自分中心だと思っていた自分は、他人依存の人生を歩んでいたことに気づく。メタルフォーゼという言葉をみつけた時から、わたしの人生が大きく変わるチャンスを与えられた。
自分中心心理学=自分を愛する作業
自分を責める。人を責める。いずれも根こは々。
●好き嫌い
●快不快
●苦楽
わたしは自分中心の生き方ではなく、他者依存というパラサイト的生き方をしている。自分中心は、他者依存になる可能性が高い。自分の中に常に自分の価値観(見栄や妄想であることが多い)があり、そこからずれている自分に劣等感を持つことのお繰り返しとそのことから生じる不安に脅かされる毎日からの脱出が必要だ。観念ではなく、実行を伴わなければ、学びが次の妄想を作り出す。わたしは企画を考えることが好きだが、結局は優位に立ちたいという劣等意識の裏返しである。そしてそれが他者依存という悪魔を生み出す。この悪循環はメタルフォーゼをすることで断ち切ることだ。