わたしを作り上げたメンターについて再度深く考えておく。
市村 清 リコー三愛創業者
大竹美喜 アフラック創業者
市村さんから順になぜ私の心に響き続けるのか深堀していく。
好きな人生訓
子曰く
吾れ十有五にいして学を志す腴
三十にして立つ
四十にして迷わず
五十にして天命を知る
六十にして耳従う
七十にして心の欲する所に従って、矩をこえず
20代から経済的な豊かさを実現することに邁進してきた。
が、
まだ、自分の天命に気が付けない。
四住期
学生期がくしょうき 0から24歳
家住期かじゅうき 25から49歳
林住期りんじゅうき 50から74歳
遊行期ゆぎょうき 75から90歳
遊行期に突入したが、まだ経済的豊かさを追いかけている。経済的豊かさを追いかけるかぎり幸せは遠去ることをしる。幸せ根は満足にあり、不幸はこの反対である。経済的豊かさを追い求めることは大きな刺激があり、生きている実感を味わい、常に高揚した気分で暮らせる。飢えることへの不安、軽蔑されることへの恐れ、思いが叶ったときの快感。日々が丁半ばくち。そして、家住期の終わりにすべての財産を失い、林住期の終わりに家族を失い、孤独という寂しさの地獄を味を味わう。人は誰しも歴史を動かす人間になりたいと考える。わたしもそう考えて人生を歩んできた。人類の歴史を競争の歴史に変えた。競争のない人類の歴史がかって存在したがろうか?
泣きながら生まれ、一人で死んでいく
生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の初めに暗く、死に、死に、死に、死んで、死の終わりに冥し。(空海 秘蔵ほうやく)
この一年、阿頼耶識の存在を知り、天空に満ち満ちたエネルギーとの一体感をもつことが阿耨多羅三藐三菩提に至る道であることがおぼろげながらわかり始めた。天空に満ちたエネルギーと一体化し、あふれる豊かさを感じる。ばら色の人生、虹色の人生は己の力で実現するものではなく、天から与えられるもの。天空のエネルギーは知性で考えることではなく、叡智といわれる梵我一如の瞑想で得られる啓示である。人生の最優先事項は梵我一如の瞑想である。
イエスはお答えになった。
人はパンだけで生きるのもではない。神の口からでる一つ一つの言葉で生きる。
パンか神の言葉かという選択ではなく、人にとっては両方が必要。天空に満ちた創造のエネルギーの中にすべてが用意されて、取り出されるのを待ち構えている。無限の天空のエネルギーを感じ、全てが満たされていることを知った時、そこには損得も知恵も必要なく、一方的な豊かさを感じる。豊かさを感じる精神力が今世紀を動かす原動力である。縁あるすべての人に、豊かさを伝える伝道者としての使命が私に与えられている。豊かさとは、感じることである。人は最低限の衣食住は確保されていることに、この事実にきずく。常に体の状態をベストにする。ミトコンドリアが常に働いている状態(空腹)を維持する。常に瞑想し祈る。この状態が豊かな状態である。この状態を維持することで、競争することなく、全ての人が豊かになる。21世紀が豊かさを感じる精神力の時代として開花し大輪の歴史の花をさかせる。
豊かさを感じなさい。幸せを感じなさい。
満ち足りていることを感じなさい。
たとえまだ達成されていなくても感じなさい。
知識で考えようとすると効率・経済・損得が出てくる。分別のために人は生まれてきたのではない。理趣経では、セックスの快楽、はやく欲しい、肌にふれたい、抱きしめたい、相手をおもうようにしたい、やりたいとおもって相手をみる、絶頂の歓び、体を美しく飾って見せる、いいかおりで気持ちよくなる、魅力で人を引き付ける、見るもの、聞くもの、嗅ぐもの、味わうものすべて美しく清く正しい。
分別が正しいと考え、70年経済を最優先に考えて生き抜いてきた。死の準備の遊行期に自分の欲望は悟り=大楽に向かう法門であることを学ぶ。これらの欲を肯定した大楽の悟りのためにこの世に送り出された。諸人の苦しみを取り去ることが私の務めであり私の行である。諸人の苦しみを楽しみに変えることをわが使命として活動する。諸人の有情を喚起しときめいて夢を実現していく。