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男性ホルモンで世直しだ8 愛と赦し

愛と赦しはキリスト社会の永遠のテーマである。
永遠のテーマということは、永遠に実現されることはないということでもある。

人々は愛に感動し、赦しに癒されている。
この大切な人間の感情も赦しも小説や映画など作られたイリュージョンの中で鑑賞している。家族の愛、隣人への愛、人類への愛、環境への愛。これら人間にとって大切な愛がイリュージョンの世界でしか味わえない不幸な時代が続いている。

いつから愛と赦しの心を失ったのだろう。
そんなに昔のことではない。つい最近のことのように思える。

喜ばせたい、悲しませたくないという人の持つ感情が、利用され始めたころから愛と赦しの心が失われはじめている。

人は弱い生き物で、何かに誰かに依存したくなる、あるいは依存して生きようとする生き物である。仏教に自灯明法灯明という言葉がある。この言葉も愛と赦しのキリスト社会のごとく、人類の永遠のテーマとなっている。

生きること=ビジネスをすること=お金を手に入れることの社会の歪さが、真理をもお金集めに利用する。これが正義であると考える人間が確実に存在し、我々と一緒の空気を吸って、我々と一緒の肉体を持ち、我々と同じ時代を生きている。

この人間たちがお金を手に入れ、手に入れたお金でまたお金を手に入れる。莫大な富が行き場を求めて彷徨う。この有り余ったお金はあぶく銭として生きるための必要を満たすツールではなく、誰の役にも立たないあぶく銭を生み出すお金としてあぶく銭を生む悪循環のサイクルに組み込まれた。

喜ばせたい、悲しませたくないという大切な感情をもあぶく銭というあぶくが消してしまっている。

あぶく銭がうごめく社会の中で、依存することなく生き抜くことは困難である。
毒を食らわば皿までという言葉がある。あぶく銭を求めて、あぶく銭の中で生きていくのも依存しない生き方の一つの方法であろう。

泥棒の上前を撥ねる生き方もまた、あぶく銭ビジネスであろう。