かって日本では、女の子が生まれたら庭に桐を植える風習があった。
生まれた娘が嫁にいくとき、この桐でタンスをつくって持たせるためである。
節約と倹約という言葉がある。
我々にとって「節約」という言葉は否定語であるが、「倹約」という言葉は、肯定語である。倹約は不要なこと無意味なことにお金を投じないという倫理観が根底にある。
戦後に生まれた倫理研究所と実践倫理宏正会は1945年、1946年と続いて設立されている。現在では一般社団法人となっている。
なぜこの団体が戦後つくられたのか?
倫理という言葉の後ろには、節約という否定語があり、この否定語で国民を縛ろうという意図が見える。この延長線上に見えるのは、楽をしてお金を蓄え、お金を蓄えることが幸せな生活の第一歩であることを浸透させる意図が隠されている。
今、世界はユダヤマネーの害毒に押し倒されようとしている。
消費は美徳、貯蓄は正義。相反する言葉であるが、どちらも「節約」をイメージさせる。我々には本来、倹約というDNAが埋め込まれている。
我々は、節約から解放されて、倹約の人生を始めなければならない時代に突入した。
「不用なこと無意味なことにお金を投じない」という覚悟。
そして、欲しいものより必要なもの、日々の消費はおさえ必要なものは上質なものを求め、居住空間は清潔に保つ。
この生活が投資生活と言える。娘が生まれたら桐を植える心が投資生活と言える。
日本には約4000社の上場企業があり、人々の生活を豊かにするための商品を生み出している。が、すべての企業がそうしている訳ではない。
これらの企業の成績は年一度の決算という形で公表される。が、考えてみてほしい。この成績表を考えたのは誰か?
決算短信を読んでフムフムとほくそ笑んでいるのはユダヤマネーであることを忘れてはならない。が、このユダヤマネーが行き着く先を見失い、戦争という形をとることでしか延命が図れなくなっている。
我々は今、娘が生まれたら庭に桐を植えるという投資の原点に戻らなければならない。
世界を荒涼とさせるユダヤマネーもこの桐を植えるという原点に戻ることを望んでいる。
不用なこと、無意味なことに目を光らせ、不要なこと、無意味なことを無くすることが我々の考える投資であり倹約の考え方である。
倹約なくして投資なし。