明日死ぬ。
と思ったとき、すべてがどうでもよくなる。
なぜだろう?
あれもしたい、これもしたい、こうなりたい、ああなりたい。
「死ぬ」ということは、これらすべてのものを手放すこと。
そして、三途の川を渡る。
(真田の時代は6文で三途の川の渡り賃だったが、現代では200円相当と言われている。六道に一文ずつ払っていく)
待っているのは地獄道。六道輪廻の最下層。
「悪事を働けば地獄に落ちる」という。
地獄に落ちるかどうか今から心を病んでもわからないものはわからない。
それよりも、「息を引き取るとき」苦しみは有るのか無いのか。
が、これもどちらでもいい。考えれば心を病むだけ。
それよりも、「今なすべきことをする」。この延長が死である。
行為の先で死が待っている。気が付いたら死んでいたというのがベストだろうか?
が、本当にそんな生き方で天国に行けるとは思わない。地獄に行くことも思えない。
「明日死ぬ」ということを考えるほど、人の生は長くない。
一瞬の人生を、人間として生まれた幸せに感謝する以外、死を忘れることはできない。
メメント・モリ 死を想え
が、人生は一瞬に終わる。