昨日は、住友化学の経営陣のあまりの不甲斐なさに住友化学の応援は止めて、さようならをした。
なぜ、経営陣に不甲斐なさを感じたのだろうか?
そもそも住友化学に投資を行った動機は、故郷愛媛発祥の企業で、業績が振るわないことが支援をしようと考えた動機であった。
これが、いつの間にか、株で損をさせられている。
損をさせているのは、経営陣であるという考えに切り替わっていた。
なぜだ?
株式投資を企業の支援から儲けさせてくれる企業への投資に切り替わっている。
確かに株式投資は、人に働かせて、儲けをピンハネするというあまり褒められた行為ではない。プラスかマイナスか。中間がない。
この世界に浸かってしまっていた。
私が損をするということは、誰かが得をするということ。行って来いでチャラ。
投資したお金が有効に生かされれば全体として豊かな社会になる。
プラスマイナス。白か黒か。善か悪か。この中には愛がない。
愛がない社会に浸ろうとしているところを住友化学が私を救い上げてくれた。
お金では損をしたが、何よりも愛が大切なことを教えてくれた。
確かに今の社会、お金が最優先されている。お金があれば何でもできるという風潮である。違うということを心では感じながら、どこかにお金を儲けられない劣等感のようなものがこびりついている。
故郷発祥の企業の業績が振るわない、何とか支援したいという人としての気持ち。これな間違いではなく、人としての素直な感情である。
この素直な感情に、儲からない、損しているという不安の感情が襲い掛かったとき、経営陣批判を自分の不安解消の材料としている。
私は私の素直な感情で支援を考えたのだから、支援が出来るまで支援することが私の不安を解消することを教えてくれた。
住友生命は必ず立ち直り、国民の生活を豊かにする。この信念を固めること、これが愛であり、昨晩失った大きな宝物であった。
愛は信念無くしては成就しない。
私の愛の信念が住友化学がV時の業績を回復することを祈る。