あら!いいね。

全ての価値は人が生み出す。

バブル以来の高値。株価の高騰は何を意味するのか?

日本の復活ののろしが上った。

ガーシーの三回目公判と時を同じくして、32年9か月振りに日経平均30808・35円の株価高値を付けた。

株価を押し上げた原因は、パフェットをはじめとする海外投資家の日本買いの影響なの
で、もろ手を挙げて喜べない。

しかも、政府は新NISAの販売を推し進め、アメリカへの投資をすすめ、貯まったお金は海外に持ち出し、円安で安くなった日本企業の株を買い漁り、企業の利益は投資家に還元する。

まさにアメリカのキャッシュデスペンサーに仕立て上げられた。

政治は体たらく、企業の利益は吸い上げられ、後に残るのはインフレと増税の山。

 

FBIの含み損は47兆円。

アメリカはインフレに悩まされ金利を上げざるを得ない状況。金利を上げれば景気は後退する。

アメリカへの投資を今後も続けるのか???

2024年の日本経済を予測すると
①インフレは止まらない
②株価は上がる
③不動産は上がる。が、商用は????
中国経済はデフレと不動産バブルで崩壊
(黒川敦彦の経済予測より)


日本人が日本国に投資するために、我々は目覚めなければならない。

狂う芸能プロ。

宗教が力を失った社会が見る世界

「永遠の〇」と「ラーゲリより愛を込めて」をプライムビデオで観る。
永遠の〇が百田さん、ラーゲリより愛を込めては辺見じゅんさんの作品。

極限状態での「愛」を描いた作品である。
時代背景は太平洋戦争末期である。

家族を愛し、戦友を愛し、日本を愛する。
ここに描かれるのは神信仰であり、仏信仰は出てこない。
この時代から仏信仰は力を失っていたのだろうか。

人は極限状態のなかではブッタの説く「さとり」は力を発揮できないということなのだろうか。

令和の時代、生命の極限から精神の極限の時代に変化している。
非常に不安定な時代のなかで、「さとり」は単なる哲学になってしまっているのだろうか?

300年の夢の時代が覚めようとした幕末の時代に黒住教金光教天理教が登場し人民
の心の平安に寄与した。300年の眠りからの目覚めに仏教の果たす役割は少なかった。

日本の宗教は、誠実、恩義、慈愛がテーマであり、他者への思いが神仏への祈りとして昇華する行為である。この日本の宗教が力を失い、皇室がDNA検査を必要とし、芸能プロダクションが性行為の提供場所となり、政治家は二枚舌を使い、経営者は脱税に能力を使かう。

誠実も恩義も慈愛も喪失してしまった令和の時代は価値観がひっくり返った幕末の時代を彷彿とさせている。

このまま、政治、経済、文化、宗教、哲学は落ちぶれていくのだろうか?
これを防ぐには何をすれば良いのか?

日本本来のこころのリバイバルは、神様と人間の関係の修復であろう。

「人は神を必要とし、神は人を必要とする」この想いが誠実、恩義、慈愛の社会の再構築の種子であろう。
ひとりびとりが「誠実、恩義、慈愛」の種まきをする時期が到来したことを感じ、実践することで宗教の世界を取り戻す。

二枚舌と損得

日本文化が失われていく。

人は神を必要とし、神は人を必要とする。

松本人志神谷宗幣。この二人の共通点は自分は特別で優秀な存在であるという思い込みをもち、自己称賛を満たすことを優先させる人間である。

しかも二枚舌を使うことで、自己の損得を決めていくという、これまでの日本文化にはみられない文化をつくろうとしている。

松本人志は日本伝統の芸能という文化を破壊し、悪趣味なダジャレ文化を作り上げ、政治という国民生活の重要なインフラを反グローバル主義というお題目で国政政党という権利をもぎ取った神谷宗幣

二人の共通点は二枚舌と損得勘定で日本文化を破壊することを目的としている。

この二人を日本社会から排除することは日本の国益である。


ヒトラーがドイツ社会を破壊したように、松本人志神谷宗幣は日本社会を破壊する爆弾である。

松本人志神谷宗幣が作る二枚舌と損得勘定の世界は、破壊されなければならない。

 

 

 

生きる。

永遠の〇の時代。
死ぬ目的がある時代。

令和の時代。
生きる目的を失った時代。

 

死ぬ目的を失った令和の時代に生きる価値があるのか?

それでも生きて素晴らしい仕事を成し遂げたい。
人のためになる仕事を完成させたい。

昨夜は永遠の〇をプライムビデオで鑑賞。

感動に涙する。

今朝は、永遠の〇の作家 百田尚樹さんがユーチューブで自らのガンを宣告。

素晴らしい仕事を成し遂げ、そして次の仕事が保守政党の結成。
人生最後の素晴らしい仕事は、ガンとの戦いか。

それとも・・・・・

死ぬ目的と生きる目的。
神様の必要を痛感。

人は神を必要とし、神は人を必要とする。

 

お金よりも大切。

神様仏様。
祈りは実現されるのか。

神様仏様を見失ってからどのくらいの時間がたっただろう。
高校生時代までは、間違いなく、神様仏様の実在を感じていた。

神様を見失ったのは、
仕事を始めてからだろうか?
結婚をしてからだろうか?

どちらにしろ成人になってからである。
それでも、まったく神様仏様を見失ったわけではない。

お正月を祝い、初詣を行い、753を祝い、葬儀にも出席している。


が、神仏の実在を感じることはなく、神様仏様との取引として、行事を行っていた。

神様仏様を信じるのは弱者のすること。
宗教は怖いもの。さわらぬ神にたたりなし。
仏の教えはブッタの教え、ブッタの教えはお寺にはない。
献金を強制されるキリスト教の教えは、キリストの教えをお金に変えるシステム。

このネガティブは考えは、いつかどこかで刷り込まれたのだろう。

神様仏様は敵と考えた学生時代のマルクス主義による洗脳が根本にあった。マルクス宗教はアヘンであると定義している。

神国日本を神様から遠避けたのはマルクスの功罪であろう。
世界はいまも、マルクス共産主義社会の実現を理想とする人々に苦しめられている。

マルクスによって人々は神様を見失い、お金のために戦争という人殺しすら行う社会を作ってしまった。

マルクスの呪文の洗脳から眼ざめ、神様仏様を仰ぎ見る社会が、理想社会であろう。

 

 

信仰は人を幸せにしたか。

世紀末と言われ、危機をあおるインフルエンサーが巷に満ち溢れている。

人類が到達した資本主義というシステムがギシギシと音を立て、
崩壊しようとしている。

人類滅亡の危機は、何度も地球を襲い、築かれた文明を破壊してきた。

そのたびに、地球は新しく生まれ変わり、新しく文明が作られ人に栄華をもたらした。
もしも、世紀末で地球が滅びたとしても、地球上の生物が絶滅したとしても、
地球の資源である魂は新しい地球を創る。

金光教の教えに
「死ぬ用意をするな。
生きる用意をせよ。
死んだら土になるだけ」という教えがある。

私は想う。これが金のように光輝く教えであると。
資本主義は金のように光輝く社会を完成させることはできなかったが、金のように光輝く社会をつくる方法を与えてくれた。

資本主義の欠点は、人を幸せにする信仰心をビジネスにしてしまったことである。

金のように久遠に光輝く社会の完成はそこまで来ている。