神様仏様。
祈りは実現されるのか。
神様仏様を見失ってからどのくらいの時間がたっただろう。
高校生時代までは、間違いなく、神様仏様の実在を感じていた。
神様を見失ったのは、
仕事を始めてからだろうか?
結婚をしてからだろうか?
どちらにしろ成人になってからである。
それでも、まったく神様仏様を見失ったわけではない。
お正月を祝い、初詣を行い、753を祝い、葬儀にも出席している。
が、神仏の実在を感じることはなく、神様仏様との取引として、行事を行っていた。
神様仏様を信じるのは弱者のすること。
宗教は怖いもの。さわらぬ神にたたりなし。
仏の教えはブッタの教え、ブッタの教えはお寺にはない。
献金を強制されるキリスト教の教えは、キリストの教えをお金に変えるシステム。
このネガティブは考えは、いつかどこかで刷り込まれたのだろう。
神様仏様は敵と考えた学生時代のマルクス主義による洗脳が根本にあった。マルクスは宗教はアヘンであると定義している。
神国日本を神様から遠避けたのはマルクスの功罪であろう。
世界はいまも、マルクスの共産主義社会の実現を理想とする人々に苦しめられている。
マルクスによって人々は神様を見失い、お金のために戦争という人殺しすら行う社会を作ってしまった。
マルクスの呪文の洗脳から眼ざめ、神様仏様を仰ぎ見る社会が、理想社会であろう。