祝詞を上げる。
祝詞の奏上で心の洗濯が、神様と共に生きる最初の一歩です。
紅葉が終わった後の高尾。
隠微な生殖のにおいがする。
エネルギーの発散を感じる。
エネルギーの発散に神様の息吹が感じられる。
人生100年時代のお題目のなかで、生殖を終えた人間に生きる価値はあるのか?
と紅葉が終わった高尾の山に隠微な生殖の香りを嗅いだ時、疑問が宿る。
隠微な生殖の香りに神様の実在を感じる。
自然も人の人生も神様の神劇。
ただ、神劇を演じているだけ。
恐れ多い感覚であるが、神様と共に生きるということはこの生き方である。
しかし、人も自然も隠微な生殖の香りだけで生きているのではない。
祝詞を奏上し、心を洗おう。
そこに、神様が示される道がハッキリと見えてくる。
神様はいる。そして神様と共に生きる。
高尾のお山で「神様の気を浴びること」が出来た晩秋に大切な一日。