私がこの世に生を受けたのは何のためか?
お釈迦様は「人身受け難し、今すでに受く」と説法されている。
人間として生まれることは難しいことだ。人間として生まれてきてよかった。人間として生まれたことはありがたいことである。
人身を受けたことに感謝することから人生が始まる。
感謝から始まる人生は、周りの人たちへの愛情で満たされ、愛情に満たされた人生は達成感に満たされた日々を約束される。
私は何をするためこの世に生まれたのかという疑問は、この言葉で解決された。
心のひらめきを具体化することのためにこの世に生を受けた。
世界は全体主義=ファッシズムに流れている。
このままでは、世界は滅亡へと進んでいく。
我々はいま、何をするために生を受けたのかを考えることに直面している。
お金を儲けることが正義になっている。
お金儲けが悪いわけではない。儲けたお金で何をするのか?
ライフワークとライスワーク。この違いをわきまえなければならない。
朝起きて、梅干しを入れた白湯を正座していただくことから一日が始まる。梅干しと白湯と正座は、自然と祈りの世界に私を導く。
仏壇の前で手を合わせると、自然とこの世に生まれてきたことへの感謝の想いがあふれてくる。自分がいとおしく、自分の住む環境が愛らしく、周りのすべてに感謝が湧いてくる。
この祈りの時、神様の実在を感じる。天の恵みを受けてこの地上で生きる。生きること以上の価値はこの世界には存在しない。
梅干しの種子の中には「仁」という天神様が存在している。
この仁をいただき、仁とは何か、天神様とは何かを黙想する。
仁とは人や物を愛すること。ライフワークを完成させる基盤である。
人は神を必要とし、神は人を必要とする(フリードリヒ・ニーチエ)を考えなおさなければならない時を迎えた。
感謝と愛情と達成感。人は生まれる時、この三つの大切な宝物を与えられて生まれてきた。この宝物を全ての人々が持って生まれたことに気づこう。