株式投資に関する考え方
私は、四国の山間部育ちです。杉と檜を育て将来に備えたいと父はよく話していました。
あれから50年。杉檜は捨て置かれ、村は廃村になりました。
そして、時代は流れました。
時代の変化は、人間にとって厳しいものです。
この現実を見てきたため、私は、投資には消極的でした。
父が考えていたように植林が将来の備えにはなりませんでした。
が、仕事がなく山の手入れでいくばくかの収入にありついた人たちの生活を支えたことは確かです。
貯蓄から投資が国の政策になり、新NISAも来春に始まります。
果たして投資が資産になるでしょうか?
株式は安く買って高く売る。差額が利益です。
これは得した人の後ろには、損した人が必ずいるということです。
誰かの得は、誰かの損です。
山の植林は価値を生み出すことはありませんでしたが、山の仕事で収入を得て、生活を支えることが出来ることはありがたいことです。
同じように株式の売買は、株式発行会社にお金が入金されることはなく、株式所有者に入金されます。しかし発行株式がそれによって高くなれば、企業の時価総額が高くなります。
企業は時価総額が上がることで、企業価値が高まります。
企業価値が高まることで何が得られるのでしょうか?
成長という果実です。
確かに成長という果実は美味です。
が、ここに大きな問題がついてきます。それが、成長という果実の毒です。
企業は成長することを目的にした果実の木で、この成長が止まった時、美味であった果実が悪臭を放ち始めます。
悪臭とは奴隷化です。
奴隷化を図らない限り成長を続けることはできません。
戦争好きのアメリカが台湾有事を画策しています。
日本をこの戦いに巻き込むアメリカの戦略は着々と進んでいるようです。
コロナウイルス、牧畜業のの破壊、お米農家の破壊。
お米農家は1971年の減反政策からはじまり、日本人のお米離れは、あらゆる成人病を作り、国家予算の半分が医療費という事態を生み出しています。
しかも大半の医療費はアメリカをはじめとする外国企業に吸収されています。
日経平均に加わっている225銘柄で外資に買われていない企業はありません。
外資は日本を骨の髄までしゃぶり尽くしています。
投資が必ず資産形成になるわけではありません。
投資とは何か、資産とは何かを真剣に考える時のようです。