人は理想的な生活を求め生きている。
犬はどうだろう?
猫はどうだろう?
野生の動物はどうだろう?
大半の時間を食べるために使っている野生の動物は、餌を求め、手に入れた餌を味わい、交尾して寝る。この繰り返しである。
食べることの心配がない犬や猫はどうだろう。
食って寝る。餌を求めることも、交尾することも制限されている。
大半の生き物には、理想の概念はなく、本能で生きることが理想の生き方であろう。なぜならば、本能以外の生き方を知らないからである。本能で生きることが充実した生き方であり、これが価値のすべてである。
人間の社会は、本能だけで生きることには充実感を持てず、人を支配することに快感を覚える。競争と戦争は人類が滅亡するまで続く。それが人間なのである。
始めがあり終わりがある。
始めと終わりは決められていて変更はできない。初めと終わりの間の生き方に理想がある。競争と戦争に生きるか、あるいは食べ物を求めることを生きる価値にするか?
どちらにしろ充実感という感情を満足させるためには、能力を出し切る。能力を出し切ることに価値を見つける。この生き方が人間の理想的な生き方、生活である。
老後というとても変な言葉がある。老いた後は死である。
老後という言葉は、死以上に恐怖感を呼び覚ます。この恐怖感をビジネスにする。能力を出し切ることが出来ない社会を恐怖ビジネスが作り上げている。
日々初めと終わりのけじめがあり(これがなければ自律神経が狂ってしまう)、死が来るその日まで朝立ちがあり、自分の世界が大好きな生き方。
朝立ちの充実感が人生の価値である。