蹲踞という難しい漢字がある。辞書で調べるとそんきょと読み、うずくまることを意味する言葉です。またつくばいとも読み、つくばいは茶室に入るときに手水に使う器です。蹲踞はお相撲さんが相撲をするときの構えであり、剣道もこの姿勢をする。
蹲踞は正しい姿勢が作れるという特徴があるが、100秒間蹲踞の姿勢をとるのは難しい。すぐにバランスが崩れてしまう。
西洋から入ってきたスポーツは、姿勢についてはあまり注目されていない。瞑想もそうである。足を三角形に固め、体をブラさないのが瞑想の姿勢である。
蹲踞も瞑想も日本で発達している。
しかし、瞑想だ蹲踞だといった話をすると、疑いの目で見られる。何百年もつづいている自己鍛錬法であるが言葉を知らない人が増えてきている。
保健体育が健康に入れ替わり、蹲踞は屈伸に、瞑想はマインドフルネスにかわり、蹲踞、瞑想の見えない部分である気が抜け落ちてしまった。
屈伸とマインドフルネスから蹲踞と瞑想を取り戻すことは大切な人生を生かすための方法を取り戻すことである。
いかにすれば取り戻せるか?
食事をよく噛むこと。食事をよく噛むことで、舌が鍛えられ、常に舌の先端が上顎にくっつく。この体感覚を取り戻せたとき、美しく力強い蹲踞の姿勢が完成し、三角に組んだ両足に痛みを感じることなく穏やかな呼吸ができる瞑想が可能となる。
何千年もかけて培ってきた習慣を破壊し、これをビジネスに組み込むことを企む企業に対抗する手段は何物にも依存したい自立したイデオロギーが必要だ。
蹲踞と瞑想はこの考えに合致するイデオロギーである。