あら!いいね。

全ての価値は人が生み出す。

無能唱元さんへの感謝の手紙

いつのころからだろうか?

私には能力があると妄想しはじめたのは。

自分で仕事を始めて間もなくだったと思う。それまでの私は、家族を食べさせるために、他人の足の裏をなめてもお金が欲しいと常に考えていた。ある日幸運が舞い込んだ。幸運と思ったのは錯覚で、家族にとっても自分にとっても不幸の始まりとなるのだが。能力があるという妄想のあとを、「お前には能力はない。単にいま、うまくいっているだけだ」という声が追いかけてくる。

常に不安にさいなまれ、下痢便が10年以上続いた。この不安と戦うために酒をのみ、仕事に没頭し、他人を遣り込めることで自分の優位性をやっとこ保つという繰り返しの毎日。会社を失ってからも、この思考法は改まることなく続き、常に他人をやっつけることで自分の存在を確認するという人間として最下位の卑劣な行為を繰り返してきた。

70歳.家族の家でという事態に直面することで、私の中に70年かけて作られた悪意に満ちた阿頼耶識が住み着いている。

一年間心経をお唱えし、阿頼耶識瞑想を続けてやっと私のなかの末那識=自己防衛本能が、他人を遣り込めることで自己の存在を確認することが分かった。

唱元さんの阿頼耶識瞑想のおかげです。ありがたい、たのしい、うれしいという言葉ので阿頼耶識を鎮めることができた。この感謝の気持ちを一年間続け、次のステージが私をまってくれています。唱元さん、一年間本当にありがとうございました。

 

長女の失声と子宮筋腫を直します。

失声に20年。人生の一番美しい時を失意のなかですごさせ、助けてあげられなくてごめんなさい。あなたは、自分でこの苦難に立ち向かおうと私のもとから旅立ったのでしょうか。振り返れば、私はあなたの病で、あなたの不幸をなじったことはあったが、涙をながしたことは一度のなかった。

なぜだろうか?

かわいくないわけではない。愛しむ気持ちもある。私は、あなたのことを他人のような眼で見ていたのだろうか。私にとってあなたの存在が損か得かの価値基準でみていたのだろうか。なんと情けなく、父親としてだけでなく、人間として失格だ。

いま、私にできることは、私の生涯をかけてあなたに懺悔すること、涙が流れるまで懺悔すること。病を治してあっげるなどという考えのなかには、まだ損得であなたを見ている私がいる。あなたは今、衣類をとりに来たいといっている。これを私はこばんでいる。

どうしてだろう。

一つは大家にわかると格好が悪いということ。それと衣類をもちだせば、決着がっついてしまう。もっと私のこころの汚れは、今帰ってきたいといわれると生活を支えられないという思い。この三つが頭の中を交差している。

全て自分中心の考え方だ。

いまから一週間、「許してください」という懺悔の行を朝晩二回行う。

観音様に祈りをささげよう。

 

次男のアルコール中毒と心の病を治します。

離婚して10年たつだろうか。

国の保護を受けなければならないほどこころが壊れてしまった。

離婚をすすめたのは私だ。

分かれることで、心のくるいをなおすことができず、国の保護を受けるまで追い込んでしまった。四人のこどもの半分を病に、心の病においこんでしまった。

私の業がそれをさせたのだろう。

私の業は、損得で人を判断することだ。この私の業を取り去ることは容易ではない。

一生涯懺悔を続けてとれるかどうか?

見返りを考える自分を捨て去り、自己防衛の鎧をかなぐり捨て、彼の苦をとり、楽を与える。

彼の幸福を観音様に願う。

280806記