まもなくオリックスから借りたお金が底をつく。収入のメドがいまだつかない。そして家族の関係が壊れていく。
絶望のオンパレードだ。
どこに希望を見いだせばいいのだろう。
すべてをゆるし、すべてを受け入れなさいと人は説く。ここまで追い込まれたのはお金がないためではなさそうだ。国領に引っ越してから生活費はわたしてきた。
が、
家族の関係が良かったわけではなく、事あるたびに食事をつくらなくなったり、掃除をしなくなったり、口を利かなくなったり。
神田にいたときも、その状態の連続であった。神田では生活費には困っていなかったと思うが?
なにが原因かわたしにはわからない。
が、
神田に引っ越してから何かが大きく変わった。「主」という存在がはっきりしなくなったこと。調布での生活は、わたしの収入が家族を支えるすべてであった。だが、神田に移ってからそれがずれた。わたしの意識も家族を守る「主」であるという意識が薄れてきた。結局今も、その状態が続いている。
おもいの丈を書き出し、この苦難を乗り越えなければと思う。人の欠点を改めさせることはできないが、自分の欠点は改めることができるという。
自分の人生をまっとうするには「仕事」しかない。男はむかしからそうやって家族をささえてきた。
と、
考えているが果たして、そうだろうか???
どちらにしろ、収入がなければ生活がなりたたない。
収入がないということは「死」を意味する。収入が得られないということは、生きる価値がないということ。生きる価値がなければ「死」を選ぶ以外に自分の人生を正当化する方法はない。自分に生きる価値があれば、収入は天が与えてくれると考えていいのだろうか。
あたしのt価値の棚卸をして、その商品に価値がないとすると、わたしは「死」を選択する以外の方法はない。
マタイ13:47~53 一家の主人のたとえ より
私の価値の棚卸
- 35年の会社経営の実績
- 子供を四人育てあげた
- 70歳でまだ働けること
- わたしは支えを必要としている。が、人を支えることの大切さを知った。
- あまり価値はなさそうだが、、、。
20131212記